[コラム]改革の道はローマに通ず

先日、妻よりある雑誌の1ページをコピーしたものをもらった。そこには塩野七生氏の「ローマ人の物語」について書かれていた。共感する部分も多々あったので、紹介しておく。筆者は山田愼二氏である
こうあった

ローマ人の物語 (15) ローマ世界の終焉

ローマ人の物語 (15) ローマ世界の終焉

この15年間、なんと恵まれていたことだろう。ひとりの作家のおかげで、じつに楽しく充実した時間を過ごすことができた。

確かに私も毎年、発売が近づくと楽しみにしていた。そして、塩野氏のことを司馬遼太郎氏につぐ国民的作家と評している。
それから、塩野氏の物語をバブル崩壊後の長い混迷期の日本の現状と二重写しに見えたと言っている。
本文で

王政から共和政へ、さらに帝政へ。1300年に及ぶローマ興亡のドラマを描きながら、同時に塩野は日本人へ宛てた手紙と言うべき名著『ローマから日本が見える』を届けてくれた。
「ローマの歴史は、混迷する現代日本に無数の教訓を与えてくれると思うのです」
そのような混迷なら、ローマは何度も経験した。そのたびにみずからの失敗を直視して自己改革する勇気を失わなかった。だからこそ、生き残ることができた。
その場合、見落としてならないことがある。ローマの改革は、大胆であると同時に伝統に忠実でもあった。自分たちの長所を忘れず、いつも組織力を最大限に活用した。

ローマから日本が見える

ローマから日本が見える


塩野氏は以前より多数の日本の政治家に“本当の意味での改革”を対話等を通じて訴えかけられていたそうだ。
そして、筆者は塩野氏が古代ローマの通史を書かれた意義がどういうことか、次のような比較をもって紹介されている。

有名な18世紀のイギリスの歴史家ギボンの大著『ローマ帝国衰亡史』をはじめ、ローマ史はキリスト教の立場から書かれてきた。キリスト教徒を迫害する“悪の帝国”あつかいもされた。全巻を読み終えて、私たちの印象はまるで違う。自由で寛容なローマ帝国は、むしろキリスト教という一神教の猛烈な“毒”によって滅んだとさえ思える。

ローマ帝国衰亡史〈1〉五賢帝時代とローマ帝国衰亡の兆し (ちくま学芸文庫)
全てを書き終えた後塩野氏はこう語ったそうだ。

「私は、ローマの歴史をローマ側から書いただけです。」

筆者は、キリスト教史観の呪縛を解いたところに「塩野史観」の真髄があると言っている。これに続けて筆者は次のようなことを紹介している。

ギリシア哲学の碩学、田中美知太郎博士、対話集『プラトンに学』において、西欧キリスト教的発想の“限界”について論じていた。
「キリスト以前のギリシア・ローマ文明は、日本人の方がよく理解できる」

私にはこの点は本当かどうかはまだ理解できないが、少なくとも塩野氏は私たち日本人にギリシア・ローマ文明をよく理解させ、そしてこれからの日本の進むべき方向を、ローマ帝国を例に指し示してくれた。