CONTACT

幼くして両親を失くした少女の物語。喪失した両親への思いを寂しさをきっとどこかに居るであろう異星人の存在に求めた。
若くして天文学の才能を認められ順調にキャリアを積み重ねて行ったが、その彼女が向かった先は幼き頃よりの夢であった異性人との「CONTACT」であった。しかし、その行為は異端であるとみなされ彼女は徐々に冷遇されていく・・・。そんな中、自ら支援者を見つけ研究を続けていった、そうして数年後ようやく「CONTACT」に成功する。しかし、彼女を待っていたのは自分より強者による搾取であり彼女は陽を見ることはできなかった。
結局、様々な紆余曲折を経て彼女がたどり着いたのは、「CONTACT」の結果得られた装置による惑星間航行であった。
と、まあ一見すると地球外生命体と我らが人類とのファーストコンタクト、そしてその後の出会いを描いたSF的作品であると感じられるが、私はそのように感じなかった。私の第一印象は“J・フォスターの、J・フォスターによる、J・フォスターのための映画”だった。SF的な要素は最初のコンタクトまでとそして最後の航行の部分だけであり、その他はヒューマンドラマであり、そこには宗教・哲学などの要素が込められておりベースには少し難解な宗教哲学が込められていると感じた。
“宇宙=空間=スペース、そこに神は存在する”これは確か「唯物論」的神の視点であったのではないだろうか。この世の全て(ビッグ・バンから始まる)は神が創造したものであり、拡大していく世界の中で、その拡がりが一瞬ぶれた時に生じた隙間に私たちは存在している・・・。
確かこんな話であったと記憶している。この要素がこの映画には込められているのでは感じた。
この映画の中で、テーマ的なもの一つに“神の存在を信じるか否か?”という問いかけが各所に在る。この映画が製作された1997年がどういった年であったかが今一つ思い出すことができないが、想像するに20世紀も終わりへと近づいた世の中、世紀末思想が語られ始めたころであったのか・・・?そんな中で製作されたためにこういった内容になったのではないだろうか?先ほどの“神の存在を信じるか否か?”であるが、この問いは私たち日本人にとってはあまり深い意味を感じ得ないのかもしれない。キリスト教圏やユダヤ教圏、イスラム圏の人々と私たちとの“神”に対する関わり方は違うため、本質的なことは解らない。ただ一つ言えることは、ある本に書かれていたことであるが「自分にとって絶対に正しい物語が他者にとっても必ずしもそうであるとはいえないということを熟知しなければならない。多元主義的で寛容であることが必要なのだ。“絶対的なものはある。ただし、それは複数ある・・・”」

この作品からここまで考えることは飛躍しすぎているとは思うが、これが私の感じたことである。