朝靄の眺め

京都・丹波はこの時期とても霧が深いところ、ひどい時には21時くらいにはあたり一面が霧で真っ白になってしまう、そしてその霧は翌日の昼前まで残っていることが多い。
しかしこの霧も夜に車で出かけたり、その他色々と生活をする上では困る事も多いが、この霧の深さが特産である黒大豆や大納言小豆の生育には欠かせない要素となっている。

今朝は雨で散歩が出来なかったのだが、昨日出勤前に独りで何枚か朝の景色を撮影してみた。

撮影の直前まではもう少し日差しがあったのだが、一瞬で靄がかかりだした。


それほど高くない山なのだが、山頂より下に靄がかかっている。


ついでに動画でも撮影してみた。
しかし、少々カメラの移動が速いのが残念だ。自分ではゆっくりと移動したつもりだったのだが、これでは速すぎる。

そして帰り際に撮った一枚

すこし暗くて判りにくいが“柿”である。この実が一つだけ枝に残っていた。この木の直ぐ側にまた別の柿木が在るのだが、そちらはほぼ手付かずの状態で実が残っていた。
どうやらそちらは渋柿のようだった、鳥達もよくしっている!

とまあ、出勤前に撮影をやっていたのだが、帰宅後長男と家の前で遊んでいる時にふと感じたことがあった。
それは“音”の存在だ。ハッキリ言って“音”の数が圧倒的に少ない、遊んでいる時に聞こえたのは、長男と私の会話、砂利を踏む音、鳥や虫の声 以上だ。
市内に居ると、常に数多くの音を浴びせかけられ続ける。それはそれで慣れてしまえばそれが普通なのだが、いざ音が圧倒的に少ない場所にいくと、少々戸惑った。
静かさの中に居て感じた、常日頃如何に私たちが多くの人工的で騒々しい音を浴び続けているのかを。。。
そして同時思った、鳥や虫の声、そしてその他自分たちが出す自然な音を耳にしていると、こういった静けさや自然ね音の中に浸るのはとても良い事だと感じたのだった。