改めてゆっくりと聴いた

今朝はよく雪が降った。このままいけば少しは積もるかな?と期待したのだが、勢いよく降ったのも束の間、直ぐに止んでしまった。

今日は職場で時間がある時に昨日の演奏会で録音していた憧れの彼の「ツィゴイネルワイゼン」を何度か聞き返してみた。
これがやっぱり良いんです、ピアノの伴奏がお母様なのですが、さすが“ピッタリ!”といった感じを受けます。
で、よくよく考えると私は“ツィゴイネルワイゼン”のことをほとんど知りません。単にどんな曲かという事のみを知るだけでした。
検索してみると、“ツィゴイネルワイゼン”とは「ロマ(=ジプシー)の歌」という意味なんですね。
ツィゴイネルワイゼン - Wikipedia
ロマ - Wikipedia
「“ジプシーの歌”、だから悲しい曲なんだよと昨日一緒に会場に行っていた、長男の師匠が教えてくださいました。
なるほど!そう言われて聴くと、前半部分は各地を彷徨い?住む場所を転々と変えていく“ロム”の人たちのイメージ、土地に根を持たないって感じが聞こえた。
そうなんだ、技術的に難しい曲といった印象だけがあったのだが、中身を知るとまた違った曲の印象を受ける。ただ単に音を間違いなく演奏するだけではなくって、その曲の持つ本質をどう表現するのかが大事なんですね。
昨日、演奏会から帰った後に五嶋龍氏のツィゴイネルワイゼンの演奏をDVDで観たのだが、明らかに曲の雰囲気が違うと感じた。
五嶋氏の場合、私が受けた印象では「この難解な曲をオレが弾ききってやる!やってやる!」とでもいうのでしょうか、ツィゴイネルワイゼンを征服、ねじ伏せてやるといった感じを受けました。
しかし、彼の演奏はそうではなかった。ちゃんと“悲しさ”が在ったように感じた。なんというのか、曲の物語が表現されていたように感じた。
だから私は五嶋氏よりも彼のツィゴイネルワイゼンの方が好きである。

もう一度生で聴きたいと思う。