私益と公益

私益の追求もその実現も、他益ないし公益を利してこそ十全なる実現も可能になる

(中略)

自分自身のやるべきことは十全にやることで、利益⇒他益⇒公益となることによって。なぜなら、人間の本性にとって、このほうがよほど自然な道筋であるからだ。ルネサンス時代の政治思想家マキアヴェッリも、この考え方の妥当性を強く主張した一人であった。つまり、公人であろうと、その人の私益の追求は認められるべきである、と。なぜなら、私益の追求を公認することこそが、公益の実現にも、より健全でより恒久的な基盤を提供することになるのだ。

ユリウス・カエサル ルビコン以前(中) P.30

「皆のため、皆のため」「公僕ですから」といっているだけでは、足りないということか。