ローマ世界の終焉

亡国とは、黙って静かに生きてきた末に訪れる現象ではない。強風にあおられた波が前後左右にぶつかっては泡立つように、社会がコントロールもなく流動し合っ
た末に行きつく結末だ。
ローマ世界の終焉(上) P.33

こんな言葉が綴られてしまうまでになった古代ローマ。
文庫本にして40冊以上にもなった「ローマ人の物語」もいよいよ完結となった。今、しばらく前から文庫の最初から読み直していて、ポエニ戦役も終わり、ガリア戦役が始まりユリウス・カエサルが活躍しだした頃のところまでいった。その辺りは登場してくる人物誰もが活き活きとしていて、これからもまだ「ローマ」という国が「ローマ人」という人々が発展していくのだ、という感覚でもってワクワクしながら読み進めていくことが出来る。
しかし完結部分となって今回の「ローマ世界の終焉」となってくると、共和制興隆期〜帝政初期の頃にみられるような人物の活き活きとした感じが無く、もどかしさを感じ、読み進めることがとても重たい。。。

ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫)

ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫)


そして、巻頭の「表紙カバーの硬貨の説明」にこう書かれていた。

亡国の悲劇とは、人材の欠乏か来るのではなく、人材を活用するメカニズムが機能しなくなるがゆえに起る悲劇、ということである。
 人材は、興隆期にだけ現れるのではない。衰退期にも現れる。しかもその人材の質は、興隆期には優れ衰退期には劣るわけではないのだ。興隆期と衰退期の人材面での唯一のちがいは、興隆期には活用されたのに衰退期に入ると活用されない、とういうことだけである。
 ゆえに亡国の悲劇とは、活用されずに死ぬしかなかった多くの人材の悲劇、と言ってもよいと思う。
ローマ世界の終焉(上) 巻頭カバー金貨の紹介

これまでにも作者が他の部分でも何度も繰り返してきた言葉だ。
「活用するメカニズムが機能しなくなる」
イヤな言葉だ。
まさに“終わっている”という感じがする。

どうなのだろう?今のこの国はまだ機能しているのだろうか?

今のこの国の姿を片隅に思い浮かべながら、読み進めてみよう。。。