コミュニケーションの大切さ

人間の幸せには、客観的な基準は存在しないからである。それを精神的なことにかぎれば、コミュニケートがある、ということは、人を充分に幸せにする。とはいえ、「コミュニケート」とは、ともに過ごす時間が多ければ多いほど、コミュニケート度も高くなるというものではない。なにしろ基準は主観的なのだから、相手に、コミュニケート充分、と感じさせればよいのである。

勝者の混迷(下) P.150


以下はコミュニケーションを怠った武将の話である。「兵士」の部分を「部下」「同僚」と読み替えてはどうだろうか?

ルクルスは、自らの才能の優秀さに自信をもっていた。それはそれで悪くないが、優秀な自分が耐えているのだから、兵士も同じく耐えるべきと考えていたのである。兵士たちが夏の砂漠や冬の山脈の行軍に耐えるには、何らかのやり方でそれを納得させる必要がある。だが、ルクルスは、この種の「コミュニケート」の重要性を知らなかった。戦略や戦術の細部にいたるまで、兵士に説き明かす必要はない。しかし、兵士たちが疎外されていると感じたのでは、良い結果を得ることはできない。優秀なルクルスには、自分にまかせておけば良い結果につながるという自信が強すぎたために、兵士たちを積極的な参加者に変えるに必要な、心の通い合いの大切さに気づかなかったのであった。

勝者の混迷(下) 152


コミュニケーションをとっている!と思ってはいてもそれが独りよがりであってはなんにもならないということ。
一方的ではなく、相手の必要としている扱いを与えることが大切なんだろう。