エッセイ 宇宙においでよ その2

今日発売の「週刊モーニング」は何かと話題になっている。
なんと遂に今週号より「島 耕作」が社長に就任したのだ。

「これが、新聞各紙のニュースになるんだー」と妙に関心してしまった。

これはともかく、今週号の中でちょっと気に入ったエッセイを発見したので記しておきたいと思う。
連載作品の中に「宇宙兄弟」ってのがあって先週から4号連続で宇宙飛行士・野口惣一氏のエッセイが掲載されている。

宇宙兄弟(1) (モーニングKC)

宇宙兄弟(1) (モーニングKC)


今週が2回目、題は「船外活動ー死に包まれ生を見る」(ちなみに1回目は今話題の宇宙でのトイレや食事の話でした)だ。
今回、気に入った。

遮る物がなく向き合った地球は、強烈な存在感で迫ってくる。
太陽の光を反射して、ものすごい光の量。そして信じられないほど、くっきりと見える。青い地球の向こうには、漆黒の闇が広がる。一切の命を許さない、底なしの真っ暗闇。その闇を背景にして、地球のまぶしさが、一層うかびあがる。
地球にくらす何十億人の人たちの生活がリアルに感じられた。「命に満ちた天体だ」ということが、確信として自分の中に起こった。

こんな景色、感じてみたい。見てみたい。きっと人生観が変わるのだろう。
そして次のように続く

ぼくが「死の世界」に囲まれていたから、命に強く反応したのかもしれない。宇宙に出ると、「生き物が生きていけない世界だ」と直感的に感じる。それはしんしんと伝わってくる。
冷たさじゃない。静けさかもしれない。宇宙には空気がないから音がない。そして、動いている生き物の「気配」がない、無生物感に満ちた静けさ・・・・・・。
命がない世界に包まれて、緊張感はあった。ヘルメットが割れれば僕は死ぬ。だが、不思議なことに恐怖感はない。ぼくは船外活動で宇宙に出るたび、「あの静かな世界に行くんだ」と、まるで三途の川をわたるような気持ちになった。
地球では生きていることに何の疑問も抱かない。でも宇宙では「命」が見える。宇宙服の内側が生で外側が死。生と死を隔てるのは薄いヘルメット1枚だ。同じように、地球の薄い大気の層がその内側の生と外側の死を隔てているのが見える。
宇宙での死の世界に包まれて、僕は命がどこにでもあるものではないことを実感した。死と隣り合わせで、命の輝きに満ちているからこそ、地球は美しい。

「生の世界」「死の世界」そして「生と死を隔てるもの」これらの絡んだこの一連の文章に興味を持ち、そして納得した。
いつも感じることだが「生と死」の間は本当に薄っぺらいものだ。特に職場に居るとこのことをよく感じる。
職場で、自らの父や母と年齢が近い方の姿をみると、特に思うのだ「父・母の生も無限ではない、何時でも紙一重なんだ」と感じる。

結局、「死の存在を強く感じる・体感するからこそ、今在る生を強く感じることができる」って事なんだろう。

生きている。素晴らしい。
エコを心がけようと一層思った。