譲れない一線

人間には、絶対に譲れない一線というものがある。それは各自各様なものであるために客観性はなく、ゆえに法律で律することもできなければ、宗教で教えることもできない。一人一人が自分にとって良しとする生き方であって、万人共通の真理を探求する哲学でもない。ラテン語なら「スティルス」(stilus)だが、イタリア語の「スティーレ」であり、英語の「スタイル」である。他の人々からみれば重要ではなくても自分にとっては他の何ものよりも重要であるのは、それに手を染めようものなら自分ではなくなってしまうからであった。

ローマ世界の終焉(上) P.212-213

自分自身のホントに越えてはならない一線は・・・?と考えてしまう。
真剣に、本当に考えたことがあるだろうか?
一体何だろうかな。