「法の正義」とは「平衡感覚」

平衡感覚とは、互いに矛盾する両極にあることの、中間点に腰をすえることではないと思う。両極の間の行き来を繰り返しつつ、しばしば一方の極に接近する場合もありつつ、問題の解決に適した一点を探し求めるという、永遠の移動行為ではなかろうか。
 自由と秩序は、互いに矛盾する概念である。自由を尊重しすぎると秩序が破壊され、秩序を守ることに専念しすぎると、自由が失われる。だが、この二つは両立していないと困るのだ。自由がないところには進歩はなく、秩序が守られていいないと、進歩どころか今日の命さえ危うくなるからだ。
 (中略)
ローマ人は法の創始者でありながら、次のような格言さえ遺しているのである。
「公正を期してつくられるのが法律だが、そのあまりにも厳格な施工は不公正につながる」

パクス・ロマーナ(中) P.31-32


「物事の平衡感覚がイイネ」と言われると上手に真ん中でどっちつかずで立ち回っているという感じがしていたけど、そういうことじゃないんだな。
どちらか一方に肩入れすることも時には大切なことなんだな。