国家論〜日本社会をどう強化するか〜

国家論―日本社会をどう強化するか (NHKブックス)

国家論―日本社会をどう強化するか (NHKブックス)


今朝、通勤途中の電車の中で読み終えた。とりあえず「読んだ、読みきった」という感じだ。それから一日、この一冊について「何をどのように記すか」と考えてみた。

正直なところ今の私にはこの一冊を完全に読み、そして理解するための知識が決定的に足りない。そう自覚した。
マルクス主義、資本論、資本主義、帝国主義、ナショナリズム、民族主義・・・などなど、数え上げれば限が無いくらいにこの一冊を構成している言葉の数々に悩まされた。悩みながらもどうにかこうにか、今わたしの頭に存在し理解できる範囲で読み解いたのだが、一読しただけでは到底理解することは今の私には遠い・・・・・。
中々、私の知力では及ばないことが多かったのだが、

第四章:国家と神〜『聖書』で読み解く「国家との付き合い方」〜
第三章:国家〜「民族」で読み解く「ナショナリズムの本質」〜

の二章は比較的読み易く、理解できる部分が多かった。
ここに書かれているのは、本当に私が今まで知ることのなかった、またあまり考えることのなかった事ばかりで「知」を拡げられた。

そして、この本のテーマの中に「国家の暴力性」というのがあるが、著者の佐藤氏は 終章:社会を強化する〜「不可能の可能性」に挑め〜 の中の結語の部分で以下のように締めくくっている。長くなるが引用したいと思う。
先ず、今の在る「国家」についてこう評する。

国家は過去に比べて暴力性を剥き出しにしている。これは国家が強くなっている証拠ではありません。逆です。国家は弱くなればなるほど剥き出しの暴力に依存するようになるのです。

それから、弱くなった「国家」危機的状況から救い出すために社会を強化し国家を強くせねばならないと、こう続く

社会の強化とは、人間がお互いに尊敬しあい、協力しあうことによって実現されます。新自由主義政策の結果、一人ひとりがバラバラにされ、他者や外部世界に対する想像力が弱っている現状を、根本的に立て直さなければなりません。
「そんなことを言っても無理だよ」という声が聞こえてくるのは折り込み済みです。そう、確かにそのために社会にとって必要なのは、社会工学的によく構築された理論であるとか、あるいは「親を愛せ、国家を愛せ、郷土を愛せ」というような法律を作ることではありません。その前に必要とされる重要なことがあります。

と説明する。そしてその重要なこととは「大きな夢を持つこと」と説く。

内閣総理大臣になりたいなどの夢はスケールが小さすぎます。貧困が全く存在しない社会、絶対に戦争がない世界、これが私のいう大きな夢、すなわち「究極的なもの」です。こういう夢を実現することに満足を感じる、言い換えるならば、大きな、とてつもなく大きな夢がエゴとなるような人が増えれば社会は強化されると私は考えます。

最後に佐藤氏はこう語る。

夢のシナリオを書く仕事が有識者に課せられていますし、それを実現するのが政治家の仕事だと思います。逆説的なのですが、このような大きな夢をもっている政治家や官僚は現実政治において無理をしません。なぜならばこのような大きな夢が現実の世界では絶対に実現できないことを分かっている、すなわち、人間の限界を理解しているので、その制約の中で、政策を実現しようとするからです。
 国家と社会の双方にわたる、いわば蝶番の役割を果たしているのが政治家です。こ政治家たちが究極以前の世界の中の争いごとにしか関心をもたず、究極的なものに思いが至らなくなっていることに最大の問題がある。過去において、日本の政治家にも究極的なものは見えていました。現在、諸外国においても指導者的政治家たちは究極的なものに対する信念をもっています。日本の政治家に究極的なものを感じる能力を回復させるのです。政治家に大きな夢をもたせるようにわれわれ社会の側から働きかけていく、これが現下の閉塞状況から日本と社会を脱出させるための出発点だと思うのです。

佐藤氏の思いが込められた熱い語りだと感じた。
「大きな夢」、私たちが日々生きていく上でも確かに必要だと思う。

もう一度、いや数度、もう少し時を置いてから読み直したいと思う。それまでに、この中で参考文献として紹介されている何冊かも読んでみるつもりだ。