人生の過ごし方について

ともすれば、最近の世界や日本において生きていると、毎日悲観的な考えばかりが頭の中をめぐり好いサイクルで人生が回転していかないように感じる。しかし、ほんの少し視点を変え物事の捉え方、考え方を変えると一転して人生の先行きが明るく感じられるようになり、人生をほんの少し楽観的に生きられるようになる。
梅田望夫氏が次のよなエントリーをされた。引用させていただく・・・。

オプティミズムとは、まったくもって「意志」の問題なのである。死や病を免れ得ない人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のことなのである。「これから直面する難題を創造的に解決する」ためには、我々一人ひとりがオプティミズムという「意志」を持つことがどうしても必要不可欠なのだ、ということを、僕はいまも相変わらず言い続けたいのである。

悲観主義とオプティミズム - My Life Between Silicon Valley and Japan

梅田望夫氏が言われているように、確かに人間は放っておけば悲観的に物事を考え進めていくのであろう。それが自然であり実感できる。これらに対し「意志」を以って超えていくために、この「意志」を得るためには少し「視点」を変えることが必要なのだが、中々この「視点」の変え方が解らない。
僕はほんの少しであるが次に紹介する詩文によって「視点」を変えることが出来た。(確か良寛によるものだったと記憶している)

ひらく時、きたる   きたる時、ひらく   心なくしてを招き   蝶心なくしてを尋ぬ

僕の単純な解釈では、「物事には各々タイミングが存在しており、そのタイミングが合わなければうまくいかないよ」だから、「今はたとえ何事もうまくいかなくても、タイミングが合えばまたうまくいくんだよ」と言われていると感じた。
この詩文を知ってからの僕は楽に生きられるようになった。ただし、いつ訪れるか解らないチャンスを逃さないためにも自らを切磋し続けていかねばならないと思う。チャンスが訪れたときにあわてないように・・・。