尊敬すること

最近自分の周囲の人たちを見ていて思うことに、“人が人を尊敬して接しなくなった”と感じる。
特に私の職場などは専門職の方ばかりであるから、各々の職業上それなりのプライドも存在するみたいだ。その中で一つの事柄に対して、日々ちょっとした事で各専門職間で意見の食い違いなどが起こる。その時に“プライド”(くだらないものだが)が邪魔をして相手の意見を尊重し、そして相手を尊敬するという事が欠けている日々感じる。何にしてもそうだが、相手の立場・意見に対し肯定するにしても否定をするにしても、先ずは相手を尊重・尊敬することがとても大切だと考える。
確かに相手を否定することは自分の立場・意見を守る上で一番楽な手法だと思う。しかしそれではやっていくことは出来ないだろう。特に自分の中で認めたくはないけど、どこかで“凄いと”感じている人の話なんかは、すぐに否定したくなるはず。だけど、中にはとても大切な事を話してくれている人もいるから・・・
昨日も同じ事を言っていたが、私は梅田さんの言っていることはとても大切なことと思っている。中々あそこまで言ってくれる人は自分たちの周囲にはいないのじゃないだろうか?
ということで今回の梅田さんのエントリーから私が大切だと感じた部分です。

そのとき、変わっていく先の「あとの半分」の世の中で「サバイバルできる条件とは何だろう」ということを最近考え続けているのです。

「最初の半分」での常識(いまの大人が当たり前だと思っていること、皆が知らず知らずに身につけている常識)を疑うことなく過剰適応すると、かえって「あとの半分」のほうでどうにもならなくなってしまうんじゃないかと、若い人たちを見て心配することも多く、思ったことはしつこく言っていこうと最近思いなおしたのである。それをどう受け止めようと読者の自由。そんなこと当たり前のことだ。でも、40歳ってのはけっこうしんどい年齢だから、そこで気づいてももう遅いということになりかねないしね。だからしつこく信じていることを書くよ。

未来のことなど誰にもわからないけれど、精一杯頭を使って考えれば、「未来を変える芽」のようなものはいろいろと見えてくる。

ウェブ進化論」を「フラット化する世界」や「富の未来」と一緒に読んでくれる読者が多いようだけれど、どの「未来への考察」も大筋では近い方向を指しているわけで、ではそういう未来が2020年頃に顕在化し、かなり大きなインパクトをもって日本社会を変えていくのだとすれば、その「あとの半分」の世界でサバイバルする思考法っていったいどういう考え方なんだろう、ということを今後真剣に考えていきたいと思っているのだ


嵐のような反応を読んで - My Life Between Silicon Valley and Japan