国家と人生 〜寛容と多元主義が世界を変える〜

国家と人生―寛容と多元主義が世界を変える

国家と人生―寛容と多元主義が世界を変える


昨年末に買い込んでいた一冊で楽しみにしていて、ようやく読み上げることが出来た。
これは竹村健一と佐藤優という二人の知識人の対談をまとめたものである。

最初に、「竹村健一」と聞くと思い浮かんだのが、小学生の頃日曜の朝テレビに出てくる、「厳つい顔をしてパイプを銜え、そして小難しい話をするおじさん」であった。その後歳を重ねるにつれてその印象は少しづつ変化して行き高校・大学生の頃には「面白い話をするおじさん」に変わっていた。そして今回、両氏の対談を拝読すると「とても面白く、大きな人物」となった。対談者の佐藤氏が何時もと違う雰囲気で、なんだかワクワクしながら色々と話をしている感じで、また違った「人間・佐藤優」が文章から感じることが出来る内容であった。

対談内容はロシアや沖縄そしてインテリジェンス、日本の歴史と伝統と多岐に亘り読んでいて飽きることの無い内容である。

その中でいくつか気になった対談内容を記したいと思う。
竹村氏が、私たち日本人の性格についてこのように言っている。

僕が常々思うのは、日本人は知識欲が旺盛だけど、結局は知識が偏っているんです。その原因がどこにあるかというと、マスコミはみんなが知っていることに対しては「これでもか、これでもか」という具合に情報を流すけど、まだ日本では知られていない話は伝えないからだと思うんです。(本文 101P.)

確かにその通りと思う。事件にしても、生活情報にしても何処を何時観ても同じ内容が少し切り口を変化させてあるだけである。
そして色々と話は続き、最後に日本の歴史と伝統について両氏が語りあっているのであるが、その中で北畠親房の「神皇正統記」の中で記されている「多様性」と「寛容」について次のように記していた。少し長くなるがそのまま引用する。

真実というのは、「これである、あれである」と細かく定義するほど当てはまらないケースが増えてきます。ですから北畠親房は、「これではない、あれではない」と除外していき、残り物を規定する発想を採用した。つまり、自らの言説だけが絶対に正しく、他の言説を否定するという自己絶対化はいけないが、そういう言説でない限りはすべて共存、共栄、併存していくことが可能だと考えたわけです。これが「残り物の発想」ですが、別ないい方をすれば「いい加減」のすすめです。世の中に絶対はなく、雑多なものが混じり合って形成される。それがうまく調和している社会が「いい加減」です。(本文 273P.)

「いい加減」、ただ単にそれだけを聞くといい加減で胡散臭い感じがするが、こうやって論理的に記されるとそうではなくなり、なるほどと納得する。
寛容な精神で何事にも「揺らぎの幅」を持たせることが大切なのだろう。
相手を理解し、お互いに納得し歩み寄るそれがこれから大切になるのだろう。
今の世の中には「寛容」も「多様性」も何もかも欠けているように感じる。

神皇正統記 (名著/古典籍文庫―岩波文庫復刻版)

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