知るために

暫く前からまた「キケロー弁論集」を読んでいる。
久しぶりに読んだがこれがまたオモシロイ!

キケロー弁論集 (岩波文庫)

キケロー弁論集 (岩波文庫)


マルクス・トゥッリウス・キケロ - Wikipedia
2000年も経った人物の言葉なのに今の世にも十分通用する語り口だ。
ラテン語の原文なんかはどんな感じなんだろう?興味が沸く
またラテン語格言を集めてみたくなった。

さてラテン語といえば某新聞の1月26日の別刷の特集の中にラテン語に関してこんな説明があった。
イタリアの古典高校の先生の言葉だ

ラテン語は名詞や動詞が非常に複雑に変化し、配置が自由なので、図形問題で補助線を引くのに似た思考方法が必要になってくる。結果、論理的に考えるようになるので、自己表現力やコミュニケーション能力が高まる。理系学生も学んでおいて絶対に損はありません。

なるほど。

そしてその特集の中で「教養とは?」という問いがあり以下のような答えがあった。

どう勉強するかを知るための基本。今の僕にとってはホメロス、ベルギリウス、ダンテの著作を読むこと。

イタリア人16歳 古典高校高校生

異なる学問の分野や文化をばらばらではなく、結びつけて考えられる力。
それによってより大きな全体図が見えるからね。

イギリス人30歳 聴講生

100年、1000年たっても変らない価値観。それを身につけるためには好奇心と異文化への柔軟性が必要。

サルバトーレ・セッティス
伊スクオーラ・ノルマーレ・スーペリオーレ学長

やはり古典を知ることはどうやら重要なようです。
伊藤さん(id:takuya-itoh)のところでコメント欄にも書きましたが、大学生になる直前の春休みにある人からこんなことを言われました。
「将来、海外の人と付き合おうと思のだったら、とりあえずなんでも良いから“哲学書”といわれるものを読みなさい。まだ意味は理解出来なくても良いから、先ずは読んで知ることが大事だよ」
そう言いながらデカルトに関する本を渡されました。
その時は何が何だかあまり理解できないままとり合えず意地になって読んだ記憶があります。だから今の記憶の中では単なる断片でしかない。
古典とか哲学書とかは一度、二度読んだだけでは理解できないと思うし、読んで感じるところもその時の自分の居る位置によって微妙に違うと私は思う。
だから時間をおいて何度も目を通すことが必要なのではないだろうか?

上にもあるように古典を読むことはやはり人生においてどう勉強するかの基本となるようです。