ある男性の話 飛行機編

80代男性 学徒動員で陸軍航空隊へ。。。
階級は中尉だった方の話

「先生、私学徒動員で戦争に行って飛行機に乗ってたんです。陸軍の“隼”です。」


「乗りだした時にはもう終わり頃だったんで当然日本は物資が無かった。だからよく聞くでしょ、鉄が無かった日本の飛行機は翼とかが木の板で出来てたって話。」

「けど、あれね、木の板やベニヤ板だったらまだマシな方。それすら使ってないやつもあったんですよ。何だとおもいます?」


「“紙”なんですよ。紙、新聞紙、そいつらをね残飯の中の米粒をのばして糊にして翼に貼り付けていくんです。だからそれが飛ぶかどうかすら怪しかった。で、そいつで飛んでみるとね、翼はガタガタするし、ついでに操縦桿もガタガタして真っ直ぐ飛ぶのですら一苦労しましたよ。」


「で、そんな飛行機ばっかりで最終的に“本土決戦”にむけて中国大陸から朝鮮半島を鉄道輸送でぬけて、これは飛行機の燃料がモッタイナイからね、それで、釜山から日本に飛ぶぞ!って時になって私の飛行機はプロペラが壊れて飛べなかったんですよ。」

「で、そこで終戦を迎えました。。。。」


「でね、今でも思い出すんですよ。同じ隊のやつや、自分より年下だった少年兵たちの事を、飛び立つ時に杯をグッと空けて、タバコを一本吸って飛んでいった少年兵のことをね。」


「終戦からだいぶ経って、もう一緒の隊だったものは私だけになってしまったんです。だけど今でも仲間だったやつらの事が忘れられなくて、毎月、護国神社にお詣りしてるんです。それが今の私の務めなんです。」


お聞きしていて、ムネにグッときた。
今、こうやって私たちが、その子供たちが不自由なく普通に暮らせているのは、生きていられるのは、このような皆さんの“おかげ”なんだなということをさらに実感した。
子供たちが理解出来るようになったらまた話してやりたいと思う。。。