何でも食べたよ

今日の午後、入院中の患者さんとゆっくりと話をする時間があった。
その方は90歳代前半の女性、丁度10代の終わりから20代の前半が戦中、戦後と国内がとても困難な時分を生きてこられたということになる。

その中で戦後の食糧難の時代にどうしていたかという話になって、こう言われていた。

「ホンマに何にも無い時にはどんなものでも食べられるよ」

「どんなものを食べた?」と聞くと

「その辺にある雑草でも在るものは何でも食べた。雑草はおひたしにして食べたんよ。」
「けど、“おひたし”っていうてもお醤油もお味噌も、ゴマも何にも無いしな、ただ湯がいてちょっとだけ残っていたお塩を少し振って食べたんよ。」
「だから、何にも苦労せんでも“食べられる”ってことはとても幸せなことやと思う。それだけで感謝やわ」

としみじみと話されていた。

それを聞いて、今の小学生たちがこんな話を聞いたらどう感じるだろうか?と思った。
豊食の時、「キライなモノは別に無理して食べなくていいよ。」「多かったら残しておき」なんて事を簡単に言ってしまう今の時、上記のような話は小さい子たちには中々伝わり難いことではあるけど、「食べるってことの大切さ」「食べられるってことの幸せ」ちゃんと伝えなきゃイケナイですね。