「お結び」って好いな

今日の京都は朝から曇りがち、昼過ぎから雨がポツポツと降り出した。今は傘が必要なくらい降っている。
この雨で桜もより一層咲くことだろう。明日が楽しみだ。

今日は日曜日。先週は長男が病み上がりで、今週は妻が病み上がり。まだ鼻がスッキリとはしないみたいだ、副鼻腔炎みたいな感じだ。本当は薬を服用すれば直ぐに回復するのだろうけど、授乳中とあってそういう訳にもいかない。だから、「葛根湯」などの漢方薬が効くみたいなのでそれで急場を凌ぐことにした。

妻の体調がスッキリしないからというわけでもないが、今日の昼食は長男の希望で「オニギリ(お結び)」になった。私はそこに味噌汁を希望。
てことで、シンプルに、「お結び(ゴマひじき・鮭のほぐし)」と「メカブの味噌汁」が完成。そして、食す。とても美味しかった。お結びと味噌汁だけなんだけど、とても美味しかった。
で、その時の妻との会話の中での話しなのだが、今日の昼食と同じ食材(ご飯・味噌汁・ゴマひじき・鮭のほぐし身)でもって、それらを単にお茶碗とお椀・お皿に盛り付けた場合と、今日みたいに「お結び」と味噌汁にした場合では、中身は同じなんだけど圧倒的に後者の方が「嬉しく」「美味しく」感じるねという話になった。確かにその通りだと思った。何故なんだろう?中身は一緒なのに受ける印象は全く違うし、味覚も違う。気分は「551の豚まんが在るとき!と無いとき!」くらいの差(関西方面の人しか分からない表現でごめんなさい)があるのかな…。
同じような料理に「にぎり寿司」がある。にぎり寿司も握った酢飯の上に刺身が在るだけ。これもシンプルだけど奥深く美味しいものだ。しかし、これを別々にして並べても「刺身定食」や「海鮮丼」ってな具合でそれはそれで良い物になる。だけど、「お結び」をご飯と具に分けて並べられて出てくると、「えっー、これだけ!」ってな具合になる(特に子供の場合は)。けど、それを合わせて「結ぶ」と「嬉しい物」に変化する。子供は大喜びする!とても奥が深く不思議な料理だとつくづく感じた。

究極にシンプルな料理の一つの「お結び」。ただ単に盛り付けるだけではなく、そこに手でもって「結ぶ」という動作が入ることで、がらりと印象が変化する。

「お結び」ってやっぱり好いな。