私塾のすすめ〜ここから創造が生まれる〜

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)


とりあえず一回目を読み終えた。(とりあえずだ・・・、また時間をおいて読む)
率直なところ、この対談の中には梅田さんの人間味がイッパイ詰まっていると感じられた。今までの著書と同様にこの一冊の中に込められたメッセージ・想いは勿論在るのだが、それよりも「こういう人だったんだ」って感じが大いにあった。多分こう感じた背景には、今週お会いした方々の中には直接に梅田さんと会われた方も居られ、その方達から「梅田さんてね・・・」って話を幾分か聞いていたのでそれらの話のイメージもあったのだろう。
だから尚一層、この本には「ハマッタ」。そう、梅田さんをとても近くに想像し感じられる一冊だったのだ。

今回もいつものように、「これは!」という箇所は多々あったその中でも次の部分は、大いに考えさせられる部分だった。

何か新しいことをやろうと思ったら、何かをやめないといけないというのが、すごく自然な帰結でした。ところが、何かをつきつめてやったことがない人だと、「たぶん、やれば、これもあれもできるだろう」と甘くみる。なんとなくゆるく、物事を決めずに進んで行くということになる。ギリギリまでやってダメだった経験、あるいはギリギリまでやってうまくいった経験というのはとても大事で、ギリギリまでやってみると、そこから初めて次のところにいける。
P.182-183

「やめる」ことをしないで次へ行こうとしている自分の姿が見えた。
そしてこの後にこう続いていた

自分の「時間の使い方」に対して自覚的でなければならない。流されたら、本当に何もできないというのが、恐怖感としてあります。何を遮断するかを決めていかないと、何も成し遂げられない。
P.183

痛いところだ・・・
「何かを捨てる」「何かを遮断する」・・・
確かにそう思う、しかし捨てきれない、遮断しきれない「私」って存在がここには居る。
「未だ、大丈夫」「もう少し何とかなる」なんて風に考えてやっていると、確かに想像する結果においてある部分で破綻したりする。やはり、「捨てる」ってことをやらないと「無理」は必ずやって来る。
「時間は有限」この意味を深く深く刻む必要を感じる。

最後に、今回の「私塾のすすめ」の発売は本当に丁度良かった。今週、行われた「京都会議」・「名古屋会議」・「横浜小会議」にまるで合わせたような気がした。
三つの会議、そこには「私塾」の存在を感じることができた。「志向性」を同じくするメンバーが集まり話をする。全く初めて会うにも関わらず、旧知のように話し合うことができる人と人。
キッカケはほんの小さなことだったけど、「志向性」を持った多数の意志によりネット上だけではなくリアルな世界にも「良い世界」を移すことが出来たのだ。
本当にそれは「私塾」だったのだ・・・。

私の小さな「私塾」に参加するキッカケとなったのは一冊の本であり、いただいた一つの☆のおかげだ。

感謝!