夏バテじゃないんだけど

昨日、今日との二日間で周囲の人から「最近元気がないね」とか「顔色が良くないよ」なんて言われた。

確かに少々疲れが出ている感じではあるが、本人としては至って元気なつもりだ。
しかし、周囲の目からすると私の姿・表情がそのように見えるのは、私に何らかの原因があり表に滲み出ているのだろう。「元気が無い」などと言われ、原因となるような事柄を考えてみて思いついたのは、大きく捉えると“将来に対する憂い”だろうか。。。

“憂い”とは言ってもなんというのか、“やらなきゃいけないこと”“改善すべきことは”目に見えて判っている。だけど、それが自分の判断・力ではどうしようも出来ないところに問題の核心が存在している、それがもどかしく憂えているような感じだ。

となると、自分には見えているが周囲の人には見えていない、その見えていない人がやっている事がどうしても目についてしまう。それは自分の基準ではありえない行動や言動なんかがそうだ。
例え相手の目に付く行為が自分の基準では“無い”ものだったとしても、それはその人の自由なのだ。「あの人は、ああいうう人なんだ・・・・」というようにして異質なものを“異質”としてあっさりと排除・拒否せずに“寛容の精神”の考えで受け入れ、その存在を認めてやる。そして自身との共存?棲み分け?を図ることが必要のではと考える。
そうすると、私の今のような表情が周りに漏れ出すことはないだろう。
他社の存在を認める・受け入れる*1

ただ“認める”のだ

私への改善策はたったそれだけだ。

*1:おとなしくして、性格を丸く周囲に染まる訳ではない