的の描き方

中山さんの今日のエントリー「そうか、自分で的を描くってそういうことか」と僕は思った〜横浜逍遥亭〜を拝見し「的を描く」って事を自分の手元にグッと引き寄せて考えた。

中山さんは「的を描く」って事を次のように言っている

“付加価値を生む”ということ、それに違いないと気がついた。付加価値というのは自分だけでは作ることができない。つまり、他人が認めてくれて初めて“付加価値がある”という実態が存在するようになるからだ。簡単に言えば、人が認めてくれる仕事ができるかどうか。それが的を描くという行為の意味じゃないか

とあった。
“付加価値を生む”か・・・
確かにその通りだと感じる。
いくら矢が当った先に自分なりの“的”を描いても、人がその“的”の存在を“価値在るもの”と認めてくれなければ、それは単なる“的外れ”な“的”になって終わってしまうんだろう。

で、自分の場合を考えてみた。
私の場合、将来の職業を漠然と“医療関係”とだけ決めていた(かなり大きな的です)。そして、その“的”に向かって矢を放ち当った先が今の仕事。はっきりと言えば今の“医療業界”って的からすると“ハシ”の方に当った。
そこから学生時代〜今までを通じて“的”を描き直してみると、現状において少々の“付加価値”は発生したようにも思うのだが、まだド真ん中の“大当たり!!”とはいっていないように思う。
もう少し修正を加えたいのだが、それは今模索中だ。。。

兎にも角にも、失敗を経験することが大事なのかな。補助的な“矢”をどんどん放って、そして当った先でそれぞれ“的”を描いてみる。
その内どれかが“大当たり!!”ってなるんだろう。

必要なのは“矢”を放ち続けることか