自分の立場で考えると

昨日の全国版の大きなニュースであった福島県の産婦人科医の話を元に自分なりに色々と考えてみた。

医療界の末端で仕事に携わるものとして、子を持つ親として夫として考えてみた。
まず、二人の子供の妊娠と出産を妻と共に経験してみて素直な感想は、胎内に10ヶ月の間無事に居てそして無事に分娩をむかえ無事に出産されるという事は、とてもラッキーなことなんだ。出産後“母子共に健康”“五体満足”と言えるのと、そうでは無い状況が起こる可能性は紙一重なんだとつくづく思ったのだ。
今の世の中、妊娠して子供が無事に生まれるのが当たり前って感じることもあるかもしれないが、そんな事は全く無く無事でいることはとてもハイリスクなんだと思う。
けど、ハイリスクとは解っていても起きてしまった不幸な出来事は簡単に受け入れられる物ではないし、起こった原因を究明し責任を追及したくなるのは当然だろう。

私がその立場にあったらどうしただろうか?

今回のことを受け、且つ自分の行っていることについても考えた
私の仕事も含めて、医療行為ってのは“許された暴力”なのかなと思う。薬を与えるという事は用法・用量が違えば人体に害を与える暴力となるし、注射の針を刺すことや、メス等で身体に傷をつける事は病気やケガで無ければとんでもない暴力行為だ。痛がる人の関節を曲げたり伸ばしたりするのも、患者さんとの会話の中で何気なく発する言葉も時には暴力となってしまう。
「医療行為=暴力行為」であるとするなら、ちょっとした事で行為の結果が過誤や事故に繋がってしまう。100%過誤・事故が無いというのが理想なんだけど、人が行う行為である限り絶対に過誤・事故は絶対に起きてしまうのだ。事故はなくならないが減らす努力と義務は必要だ。
だから、私も最近は今まで以上に色々と注意をしながら業務にあたっている。

とにかく医療行為における安全と事故とは紙一重なんだという事を、今回の裁判と自分の経験や日常業務を振り返って改めて確認できた。