それを分かる人はどれだけいるのだろうか?

今夜もまた「ローマ人の物語」から一言です。

ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉 (新潮文庫)

ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉 (新潮文庫)

本編とは関係のない部分からの引用ですが、文庫本にはカバー表紙のデザインに使用されている貨幣の説明が付いています。そこからの引用です。

人間にとっての幸不幸は、自分に合った時代に生れたか否か、にかかっているということだ。資質も才能も努力する意志も、この一事を前にしては価値が薄れる。だから私も、成功の条件とか失敗の教訓などと銘打った書物を書く気になれないのである。成功も失敗も、そうそう簡単には定義できないという気がして。

というようにありました。
自分が今の時代に合っているか、否かなんて分かる人は一体どれくらいいるんでしょうか?
確かに自分の性質に合わない時代・社会に生きることは辛いことだとは思います。だけど「時代に合わないから」といって何もしないでいては何の価値も無いでしょう。それを不幸と捉えるのか、幸と捉えるのかは当の本人の考え方・物事への取り組み方次第なのではないでしょうか。
今は時代に合わないかもしれないけど、何年かしたら、何ヶ月かしたら、もしかすると明日にでも時代の潮流は自分の方へと流れが変わるかもしれません。

マキアヴェッリの言葉にこんなのがあります。

なにかを為したいと思う者は、まずなによりも先に、準備に専念することが必要だ。
機会の訪れを待っての準備開始では、もう遅い。幸運に微笑まれるより前に、準備は整えておかねばならない。
このことさえ怠りなくやっておけば、好機が訪れるやただちに、それをひっ捕らえてしまうこともできる。
好機というものは、すぐさま捕まえないと、逃げさってしまうものである。

好機は、時代はいつやって来るか分かりません。「合わない」からといって何もしていなければ自分に合った時代が訪れても結局何も出来ないまま終わってしまうことになります。

準備、心構え、そして夢、これを忘れずに生きましょう。