死生観の違い
去年末から今年にかけて、“千の風になって”
がとても流行っている。確かこれは古代ローマの名も無き誰かの墓碑に刻まれていた詩句で、それが9・11テロの追悼式で朗読され話題となった。その後、日本語訳詩も作成され、日本ででも紹介され今に至っている。詩句の内容は、
自分は死んでしまったけれども、死んでしまった自分のことを悲しむ必要はないよ。だって私は風となり世界中をめぐり、生きているから・・・
ということだと理解している。
次に以下の文を記すが、これは塩野七生氏の著作「ローマ人の物語:ローマは一日にして成らず」
ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
- 作者: 塩野七生
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ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下) (新潮文庫)
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以下のような文章は、ローマから各地へと続くローマ街道の脇に今でも存在する墓碑に刻まれているそうだ。
わたしは死んで、ここに葬られている。灰の一つかみでしかなくなったのが今のわたしだが、灰は土になる。土は大地に浸透し、人間世界の土台をつくる。となれば、わたしは死んではいず、世界中で生きているということではないか
なんとスケールの大きいことだろう。
二つの詩句から考えるとローマ人は、現代人のように“死”は人生の終わりではなくもっと大きな世界への旅立ちを意味していたのだろうか。
私自身はまだ若く自分自身の“死”を意識することは無いが、いざ死期が近づいた時に彼らローマ人のような死生観を持つことが出来るだろうか?出来ればそうありたいと願うが、まだまだ人生経験・修行を積まねばなるまい。