子供の時間と大人の時間

久しぶりの連休を過ごした。
いつも休日が日曜日しかない為、その日一日にやらなきゃならない用事を詰め込むため朝からスケジュールが過密状態になる。しかし、こうやって連休となるとやはり余裕が出来る、彼方此方へと出かけることは多かったが子供と過ごす時間がいつもよりは多く有った。

その中で思う。子供の中に流れる時間と、大人の活きている時間の違いを・・・
以前の平ちゃん(id:ai247)のエントリー(一日にして二日を知るーai247の日記ー)に午睡後の我が子に対する評でこんな風にあった*1

元気一杯、新しい朝を迎えたかのようだ。
「今日」「明日(=未来のこと)」「昨日(=過去のこと)」位しか時制をもたない我が子ではあるが、実際に新しい朝を迎えたかのように、昼寝前のことを「昨日」と言っているのを見かける。
どうやら昼寝を境に、一日で二日を生きてるらしい

私もそんな気がする。彼・彼女達にとって“昨日”も“一昨日”も全てが単なる“この前”になってしまう。何となく過去に経験したことが並んではいるようなんだが、それははっきりとしたものでもないらしい・・・ だから会話をしていると時間があちらへ、こちらへとポンポン飛んでしまい、ついていくのに苦労する事が時々ある。そう、どんなに過去の出来事でも彼等にとっては、直短で経験した出来事になっている。
その日、その時までに経験した出来事(膨大に脳に入力した情報)を整理する為の午睡、そこでリセット!
それからはまた違う情報収集に励む!、確かに一日で二日を生きているのだろう。
収集して、収集して処理しきれなくなり疲れたら、寝る!

大人はこんな風には出来ない、収集する情報にも制限を設けているし、行動も先の予定を考えて制限してしまう。
子供はどんな時でも一生懸命だ。遊びも何もかも、生活が一生懸命。

思う、後先考えずに一所懸命遊ばなくなったのは何時以来だろうか?

子供の中に流れる時間と大人の中に流れる時間とは、大きく違うことも多いが時には子供のように、ただとりあえず一所懸命に遊び尽くすことも大事なのかなと思うのだ。
何もかも忘れて、全てをどこかに預けておいて・・・・、いつもとは違う自分を生きてみる。

それが今やってみたいこと。

*1:我が家も長男が3歳なのでよく解る