マングローブの沼地で ~東南アジア島嶼文化論への誘い~

まだ完全には読了していません。
読み始めてから、途中で横道にそれてしまいちょっと時間がかかったが、あと少しで終わる。
色々と作中で楽しい発見があったので2回に分けることにした。

読み始めた頃にも書いたのですが、この作品は何度も読もうとしては途中で挫折していた一冊である。しかし何年と私の行く先々についてまわり、遂に今回読み切れそうだ。め読み始の頃のエントリーに「読むための下地がようやく私の中に形成されたようだ。」と書いているのだが、その“下地”というものが年齢なのか、経験か知識なのかは判らないが、今までに感じたことの無い楽しさをこの作品中に感じることが出来た。
また副題に「東南アジア島嶼文化論への誘い」と在るが、確かにこれを読むことで何となく現代の東南アジア諸国の成り立ちの複雑さが少し理解出来そうだ。少なくとも、最近のニュースや雑誌記事を読んでいても今までにない理解の仕方をしていた。
以下の言葉にそれが現れているのではないだろうか?

マングローブの沼地に生まれた移動分散型の社会では、権力の実質は、君主制的な外装をこらしているサルタンにではなく底辺の民衆にあった。誰に忠誠を誓うか、仕える主を選ぶ権利を民衆のひとりひとりが持っていた。忠誠の選択権は決して言葉の綾ではない。慣習法によっても、自由民の自由とは仕える主を選ぶ自由とされている。この理屈でいえば、奴隷は忠誠の選択権を失っているから奴隷なのだ、ということになる。だが実際には、奴隷さえも「他に売り渡してくれ」と主人に要求する権利を持っていたらしい。

P.146

なるほど。



後は「なまこ」に関する記述で、これは後日読もうと考えている「ナマコの眼」にも関連しそうで気になる。以下の部分だ。

スルー諸島南端のシアシからボルネオのサンダカンに至る海域は、なまことフカの一大漁場だった。ホロ島が扱った乾なまこは、三三品種、それぞれが三つの等級にわけられ、なまこだけで実に一〇〇種類の商品があった。そのすべてが中国市場に輸出された。これだけのなまこを食べわける中国人の味覚は驚くべきものだ。この当時、なまこの漁法や乾燥の仕方について、中国人やスラウェシ(セレベス)のブギ人が、現地人の指導、監督に当たっている。ブギ人がオーストラリアに毎年なまこ獲りの航海をするようになったのは、十六世紀だった。十九世紀のこの頃になまこ漁はカリブ海にまで拡がっている。そのすべてが中国市場だけを目指した。

P.120-12

中国人の“食”欲はスゴイッ!
“なまこ”はナマコじゃないのか?そんなに種類があるのか?未知の領域だった。