使わない努力

言葉について最近常々よく考える。
自分が表現している言葉(書き物・会話)が適切であるか?相手にとって、また場所によって適切であるか?
普段何気なく使っている言葉は例えその表現が適切ではなくても、自分では中々気がつくことが出来ない、その為には他の人が書かれているものを読んだりすることで、適切な表現を覚えていくしかないのである。

その中で最近気になる言葉遣いの一つとして「自分としては○○だが・・・・」であるとか「自分的には〜〜」といった表現だ。いつの頃からか皆が使うようになり、私自身も時々意識しないうちに使っていることがある(本当は使いたくない)。「自分としては」と付けることで、自分の「行為」「考え」に対して失敗した場合や目的が達成できなかった場合の保険をかけることになる、言い訳の為の良い理由になるのだ。確かに人間誰しも自分が傷つくことは嫌だ、だから上手くいかなかった時に備えて「自分としては」と自分自身の行為に保険をかける。。。
しかし、世の中は結果が全てなんだ「自分としては一生懸命やったのですが・・・」なんて言葉を良く聞くが、それは単なる言い訳だ。やるからには結果を出さなくてはならないんだ。失敗も結果だ。失敗しても、上手くいかなくってもそれで良いんだ。
そこから次にどう繋げていくかにかかっているのだ。

本当に便利で都合が良い言葉なんだが少々困った存在だと思う。

使わない努力これからも続けますよ。