「コーヒー一杯『200円』ということが思想である」


ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき (朝日文庫)

ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき (朝日文庫)


の話の始め、大前提の部分である。
普段私たちが「思想」だと思っていることが実はそうでないという事を記していた。

佐藤:「思想」というのは、正確には「対抗思想」なんですよ。


魚住:どういうこと?


佐藤:いま、コーヒーを飲んでいますよね。いくらでしたか?二百円払いましたよね。このコイン二枚でコーヒーが買えることに疑念を持たないことが「思想」なんです。そんなもの思想だなんで考えてもいない、当たり前だと思っていることこそ「思想」で、ふだん私たちが思想、思想と口にしているのは「対抗思想」です。護憲運動や反戦運動にしても、それらは全部「対抗思想」なんです。


魚住:えっ、そうなんですか。では、佐藤さんがおっしゃる意味での「思想」のことをもっと詳しく話してもらえませんか。


佐藤:戦前、「畏れ多くも」といえば後に続くのは「天皇陛下」でしたね。軍人は「畏れ多くも」という言葉を耳にすると、直立不動になりました。いまや異常なことですが。しかし当時は疑問を持ちませんでしたよね。そんな時代に、こうした行為が「思想」だと気付いた人物がいます。諜報機関員を養成した後方勤務員養成所(のちの陸軍中野学校)の初代校長・秋草俊がそうです。秋草が中野学校の学生たちと雑談している時に、「天皇」の名前が出てきました。直ちに学生たちは気をつけの姿勢をとった。そしたら秋草は彼らを「バカ者ッ!」と怒鳴りつけたんです。「天皇の名前を聞いて直立不動の姿勢をとるのは軍人だけだ。仮におまえたちが、セビロを着て地方人になりすましていても、それではたちまち化けの皮がはがれてしまう」。「第一番に天皇もわれわれと同じ人間だということを知っておけ」と。日本人がその存在を当たり前のように思っている「天皇」こそが「思想」にほかならないもので、それに基づく「国体」もまた「思想」だということを彼は自覚しています。


(中略)*1


佐藤:「思想」とは気付きづらいものだと言いましたよね。気付くためには「思想」に対置する客体が必要です。自分の顔を自分で見ることはできませんよね。でも、前に鏡を置けば左右逆に映った自分の顔を見ることができる。客体を対置することをこのようにイメージしてください。クレヨンしんちゃんは、鏡です。私たちの日常生活に潜み、そうだとは気付かない歪みを「クレヨンしんちゃん」に登場するキャラクターに託された誇張やユーモア*2によって見せてくれるのです。


魚住:「クレヨンしんちゃん」は「思想」書ということですね


佐藤:そうです。
P.23-P.26

「思想」に関する解説で、クレヨンしんちゃんが例えに出てくるとは思わなかった。

*1:この後「クレヨンしんちゃん」を例にして「思想」について説明している。

*2:幼稚園の人間関係は大人社会の縮図として描かれている。ネネちゃんのお母さんはよく「ぬいぐるみ」を殴る。それを見たネネちゃんは「いつものお母さんじゃない」と言って泣く。その光景には典型的なドメスティックバイオレンスを見てとれる。と佐藤は説明している