新自由主義と国家 ライブドア事件を題材にして


ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき (朝日文庫)

ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき (朝日文庫)


から

佐藤:ライブドアが急成長できたのは、九〇年代のバブル崩壊後にとられた金融面での規制緩和がベースにありますね。これは、経済活性化のためというよりも、次のような見方が妥当かと思います。
 国家の目的は何かというと、自己保存なんです。そのためには国民から富や労働力を収奪しなければならない。国民に対して福祉というやさしさを示すのも、ある程度、国民にやさしくないと国民が疲弊して収奪できなくなるからなんです。金融面での規制を緩和して起業を促したのも、新たな収奪の対象をつくりだすという側面があったといっていいでしょう。小泉政権における新自由主義的な経済政策も、新たな富める者をつくりだして収奪するためだと言えます。
 ところが、新自由主義は文字どおり「稼ぐが勝ち」の世界ですから、資本の増殖が目的ですね。資本にとっては、規制が緩和されたとはいえ国家なんて邪魔なだけです。新自由主義の論理を突き詰めれば、貨幣=資本による国家の解体になります。
 逆に、国家にとっては、新自由主義の行き過ぎで資本が国家を超克しようなんてことになったら、非常に都合が悪いですね。なぜなら収奪ができなくなって、国家として存続ができなくなるわけですから。


魚住:先ほどからの佐藤さんのホリエモンに対する評価から考えるならば、彼こそ、行き過ぎた新自由主義そのものだと?


佐藤:そうです。彼はナショナルなものに価値を感じない本物の新自由主義者でしょう。ですから、ホリエモンの憲法における天皇の位置付けに対する違和感の表明や大統領制を肯定する発言も頷けますね。彼の逮捕容疑は証券取引法違反ですが、その意味についてはこう言えるのではないでしょうか―――先ほど、「ホリエモンは超えてはならない日本文化のタブーを超えてしまった」と申しましたが、こう言い換えましょう。「“貨幣”が超えてはいけない日本文化のタブーを超えてしまった」と。


P.136-P.137