ローマ人の物語~迷走する帝国(中)~

ローマ人の物語〈33〉迷走する帝国〈中〉 (新潮文庫 (し-12-83))

ローマ人の物語〈33〉迷走する帝国〈中〉 (新潮文庫 (し-12-83))


「迷走する帝国」中巻を読んだ。
なんというのか、ローマ帝国に対して連続して襲ってくる危機の連続。それに対応するローマ側のその場しのぎの対応、読んでいて悔やまれてなりません。
問題が起こる、新しい皇帝が起つ、皇帝が気に入らない事をすれば謀殺する、そしてまた新しい皇帝を起てる。。。
このような事の繰り返しで、3世紀は過ぎていく。これより以前の「ローマ人の物語」ならば一作品中で取り上げられる時代を作った皇帝や指導者は、多くは一人か二人ぐらいだった。しかし「迷走する帝国」においては次から次へと別の皇帝が現れては消えていく。作中で塩野氏が「皇帝の一覧表がなければ読めない」というような事も書いていたが正にその通りといった感じであった。
今回読んでいて思った事に、短期間でコロコロと皇帝が変わる事で周囲が落ち着かないことは勿論だと感じるが、それよりも問題なのは短期間で皇帝が変わる度に政体としての政策方針が全く変わって行っていることだと感じたのだ。国・共同体としてのまとまった方向性がバラバラになっていたとおもう。
そのように感じながら読んでいると以下のような記述があった。

三世紀のローマ帝国の特質の一つは、政略面での継続性を失ったことである。それ以前は、たとえ悪帝と断罪された人の死後に帝位を継いだ皇帝でも、先帝の行った政策で良策と判断したものは、継続しただけでなくさらにそれを発展させるようなことまで、迷うことなく行ってきたのだった。基本的な政策の継続は、これによって保証されたのである。皇帝の治世が長かったことだけで、継続性が保証されたのではない。継続することがエネルギーの浪費を防ぐ方法の一つであることを、自覚し認識していたからであった。三世紀のローマ帝国は、持てる力の無駄遣いに、神経を払わないようになっていたのである。これもまた、ローマ人がローマ人でなくなりつつある兆候の一つであった。
P.82-83

“継続性を失った政略”今の日本の現状を見ているようです。
一貫した方向性を指し示すことが出来なければならないのです。

下巻は今まで以上の激動の時代へと突入します。