ローマ人の物語~迷走する帝国(下)~

ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84)

ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84)

混乱し迷走し続けたローマ人の物語も一旦この巻で終わりです。続きはまた今度。。。

さて何から記そうかと迷うところだが、とにかく上・中・下と3巻続いてバタバタとした内容であった。唯一、皇帝アウレリアヌスの治世の間は今までの皇帝の治世がそうであったように“安心”して読むことが出来た。しかし、それも長続きはしなかったのだが。。。

「迷走する帝国」を通じて感じたことはローマ社会において新興宗教であったキリスト教の影が段々と大きくなって来たことだ。確かに混乱に次ぐ混乱で疲弊しきったローマ社会において、住民たちは明日をも知れぬという状況であったろうと思う、その様な状況下で「信じれば救われる」と囁かれれば入信してしまう人も多かったろう。
当時のローマ帝国の弱体化し疲弊化する一方であったことを記す手紙が紹介されている。
カルタゴの司教で殉教し聖人に列せられるキプリアヌスから友人にあてた手紙だ

きみは言う。われわれの世界を震撼させ不安に落としこんでいる多くの不幸の原因は、キリスト教徒たちにあると。なぜならわれわれキリスト教徒が、きみたちの神々をうとんじているからだという理由をあげて。
 だが、聖なるわれわれの教典にふれようともせず、それゆえに真理から遠いところに生きているきみでも、次の一事は認めざるをえないだろう。それは、ローマはもはや老いた、ということである。以前はしっかりと大地に立っていた頑健な足も、今では老いて、自分自身の身体の重みをささえきれないでいる。
(中略)
帝国は老いつつあるのだ。その帝国に若くて活力に満ちていた時代と同様の力強さがまだ期待できると、きみは思っているのかね。
 終末に近づけば、何であろうと弱体化する。日没が近くなれば太陽の光も弱まり、朝が近づけば、月の光も弱まる。
 これが、世界の定めだ。これが神の掟だ。生れいずるものすべては、死ぬことを運命づけられている。成熟の後には老化が、老いの後には死が。強力だった国家も弱体化し、巨大であったものも縮小化する。弱くなり、小さくなり、やがて消えるのだ
P.214-216

この全てに3世紀頃のローマ帝国の姿が刻まれていると思う。
そしてこのような時代背景の中でのキリスト教がどのように社会に浸透し、そして台頭の要因をEric.R.Dodds教授の「不安の時代の異教徒とキリスト教徒」の中から塩野氏は次のように紹介している。

キリスト教会が三世紀のローマ人に与えるのに成功したものは、多くの人がそれなしには生きることがむずかしい帰属心であった。
人々を苦しめるのは、自分はどこにも属していないという孤独感なのである。
蛮族にすべてを奪われて村を離れるしかなく、都市に流入してきた人びと。
(中略)
これらの人々が、キリスト教のコミュニティに加わることで、人間的な温かさを得られたのだ。誰かが自分のことを、現世でも来世でも、心配してくれると思えたのであった。
P.187

これは今現在の日本にも通じるのじゃないだろうか?不安感と宗教の結びつき重要だ*1
時代の変わり目に宗教はどんどん入り込んでくるんだな。。。
この時代はまだローマ帝国とキリスト教は敵同士。それが弾圧や迫害を受けながらもシブトク根強くキリスト教は残っていく、そして最終的にはローマ帝国を乗っ取ってしまう。
“キリスト教”この巻以降の重要なキーワードだ。

最後に皇帝マルクス・アウレリウス帝の「自省録」よりの紹介である分を記します。
魂が肉体から離れねばならないときに、それを安らかに受けとめることができたら、何とすばらしいことだろう。だが、この心の準備は、人間の自由な理性によって達した結果でなければならない。キリスト教徒たちのように、かたくななまでの思いこみではなく」

*1:最近、街中を街宣車で聖書の一部を読みながら走ったり、地方の道路沿い民家の壁に、黒字に黄色の文字で聖書の一部が書かれていたりする。これも関係あるかな