仏教における世界の成り立ち

ゆっくりと読んでいる
ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき (朝日文庫)の中で仏教における世界の成立について簡単な説明があったのでメモ

キリスト教やイスラム教のエデンの園の話とはかなり違う


佐藤:はじめに、何もないところに「有情の業」―生命の力といったらいいでしょう−が働きます。
   すると、すーっと風が起きてきます。ひゅるひゅる吹いている上に、水の塊ができてくるんです。
   その塊の上に温めた牛乳に張るような膜ができます。
   その膜はやがて硬くなって金属の板のようになる。これを金輪というんです。
   「金輪際つきあわない」、なんて言いますよね。これは宇宙の切れ目を意味します。
   その金輪の上に海ができて、その中に月まで届くような高い山ができます。これがシュメール山、
   須弥山なんです。その南に三角の土地ができて、
   ほかに丸いのと四角いのと、三日月形の土地ができます。われわれは三角の土地に
   住んでいることになっています。
   須弥山はエメラルドでできていて、われわれの側から見ると、その反射によって空は青く見えます。
   そこに天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄という世界がある。
   それらは風の世界からでてくる幻想だと。消えてはまた現れる。その繰り返しなんです。


魚住:創造主がいないんですか。


佐藤:いません。仏教は基本的に無神論です。

「何も無い。全ては幻」ってのが仏教なんですね。