アメリカ型キリスト教と福音派

最近の海外からのニュースで話題になるものの一つに11月に行なわれるアメリカ大統領選挙に絡んだ話題である。
現在、オバマ大統領に対する共和党の指名候補争いが繰り広げられている。
で、いつも「分からないな」と思っているところの一つに、アメリカの選挙ではキリスト教系の支持を受けられるかどうかで、選挙の当落の行方が変わってくることである。その中でもよく聞くのが「キリスト教福音派」かな。。。?
イマイチよく分からないけど、いつものナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき (朝日文庫)にちょと分かりやすい話があったのでメモ

アメリカ型キリスト教
アメリカ型キリスト教⇒フリーメソジスト教会(ブッシュ大統領アルコール依存症をこのフリーメソジスト教会に出会い回心した。)はプロテスタンティズムである。

佐藤:フリーメソジスト教会は、宗教によってアメリカ人は新しく生まれ直し、アメリカの理念である自由と民主主義    の完成を目指し未来に向かって進んでゆく。これは神の意志であり、それをアメリカ人は体現せねばならない    という考え方なんです。
P.51


アメリカの「市民宗教」と価値観


佐藤:アメリカでのキリスト教との割合は約九割。プロテスタント、カトリック、ギリシャ正教、そして各教派の分派、    新興宗教系などが混在し、宗教的にも坩堝と化しています。(現在までに:引用者補足)アメリカ合衆国が存亡   の危機に瀕するような事態にはなりませんでした。第二次世界大戦やベトナム戦争では大量の死者を出して    いますが、国土が主戦場になってはいません。例外はアメリカ人同士が戦った南北戦争くらいでしょう。です    から、アメリカにおけるキリスト教は、入植以来、北米大陸の東海岸から西海岸への膨張、中米への勢力の    伸張、アジアへの植民地主義的拡大に伴走するようにすくすく育っていきました。



魚住:つまり、彼らはヨーロッパのキリスト教*1と違って、自分たちの価値観を疑っていないということ?



佐藤:ええ。その姿勢が「アメリカ型のキリスト教」だと私は見ています。ではその価値観は何かというと、「自由と民   主主義」なんです。これはどの教派にも共通する価値観です。アメリカの宗教学者ロバート・ベラーはそれを   「市民宗教」と呼び、『宗教からよむ「アメリカ」』(講談社、一九九六年)を著した神学者の森孝一さんは「見えざ   る国教」と表現しています。

同じキリスト教、同じプロテスタンティズムでもヨーロッパとアメリカでは感覚が違うんですね。
こうやって説明されて、且つアメリカに暮らす人々、ヨーロッパに暮らす人々を思い浮かべてみるとなんとなく両者の違いが分かる感じがする。


で、さらに福音派とアメリカ型キリスト教がもつ「未来」という考え方について説明が続く

魚住:それでさっき佐藤さんがフリーメソジストについて説明してくれたように「アメリカの理念である自由と民主主義   の完成を目指し」ということになるんですね。ところでその説明の中に「未来に向かって進んでゆく」とありまし    たが、どういう意味ですか。



佐藤:この「未来」という考え方が、アメリカの福音派にみられる特徴です。フリーメソジスト教会も福音派のひとつ    です。プロテスタンティズムの標準的な解釈では、神様は天にいて、人は地にいます。その間には絶対的な断    絶がある。神と人をつなぐところに唯一、イエス・キリストがいます。イエスを媒介にすることでしか人は神様    に結びつくことはできない。ところが、ブッシュさんたちのプロテスタンティズムは、なぜか天上にいる神様が人    間の歩んでいる歴史の果て、つまり「未来」にいるんですよ。神様と人間の関係が上下から水平になり、両    者を隔てていた絶対的な断絶が薄れています。信者たちは、未来にいる神様に少しでも近づこうとすべき    で、それを妨げる悪がいればそれと戦うんだという構成になっています。



魚住:それで「未来」なんですか。



佐藤:そうです。「未来」に重きをおく背景は何か?キリスト教には千年王国という発想があります。歴史には終わ     りがあり、終わりの日が来る前にキリストが再臨し、神に従う者たちの王国が地上に現れ千年間続くという    説です。ただ、キリストが再臨して千年王国ができるのか、千年王国ができてからキリストが現れるのか、そ    の順番はよくわかりません。

結構、激しい考え方を持った会派なんですね。
ここの説明では映画やドラマで表される、ヨーロッパとアメリカのミサなんかのシーンを思い出すと分かりやすいのかな。
そういえば、アメリカ型の場合は牧師が身近な言葉や例で信者を煽って、どうすれば神やイエスに近づけるかという説教をしているかな。
ヨーロッパ型はやはりどこか荘厳で、畏まったミサという印象がある。



そして当時(2006年)のアメリカ大統領はどのように捉えているのか、それについて佐藤氏が考察している。

佐藤:演説やインタビューの論理を敷衍すると、キリストが再臨してから千年王国が実現するという説に立っている    と見るのが妥当です。人間の手によって理想的な何かを達成することはできない。そこは神様に任せなさ    い。キリストが現れるのをただ待ちましょうという考え方です。実社会での態度は、現行体制の変革を望まない    保守になるんです。
  ただ、部分的に変質が起きて、現行の制度がいいのだから、それに反抗する勢力は先制攻撃を加えてでも叩    き潰さなくてはならない。これこそが終わりの日に備えることだということになります。神様は天上から歴史の    地平に降りてきていますからそれほど超越性を帯びてはいません。代わりに「自由と民主主義」という「市民宗    教」が前面にせりだし、絶対的な価値となります。こうして超越性が地上に降りてくることによってキリスト教    が本来もっている原罪意識が薄れてしまうんですね。原罪は神様の絶対的超越性が担保されて成立するわ    けですから、罪は自分が持っているのではなく、相手が持っている。強いて言うならば、罪を背負っている悪魔    を退治しないことが自分の罪だという、転換が起きてしまいます。悪魔は具体的なもので、実在すると信じら    れています。ブッシュ大統領の内面においては、退治すべき悪魔がウサマ・ビンラディンであり、フセインだっ   たと私はみています。


P.54-P.57

うーん、アメリカの宗教と政治、そして市民との関係が見えてきた。
この辺りの話をベースに大統領選挙を観察していると、単に結果だけでなくもう少し面白い見方が出来るんじゃないかと思う。

*1:思想が転換するきっかけは戦争の大殺戮である。二つの大きな大戦の勃発や、ナチズム   の台頭を防ぐことが出来なかったことにより、ヨーロッパのキリスト教や神学には、「自分たちの思想が絶対に正しい」と信じることへの拒否反応が皮膚感覚で染みついていったように思える。と佐藤氏が説明している